結局応援したくなる。

本棚を整理しました。

すると、読んだ記憶はあるのだけれど内容はさっぱり覚えていない本がゴロゴロ・・・。

1冊ずつ読み返してみることにしました。

 

まずはこちら。

 

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「虹」 吉本ばなな

 

そもそも吉本ばななさんの本はそれほど好きではないのですが(食わず嫌いかもしれないけれど)、この本は確かジャケ買いした記憶あり。

 

タヒチが舞台のこの小説、装丁がとても好きです。

 

内容は、まっすぐで不器用だけど内に熱いものを秘めている、動植物を愛する女性が主人公。あぁ吉本ばななっぽい。

その女性が、これまた不器用だけど仕事熱心で少年のような年上の既婚男性に惹かれて恋に落ちるわけです。

 

母の死をきっかけに心のバランスを崩し仕事を失った女性。つなぎの仕事として与えられた家政婦の仕事で動植物を通じて元気を取り戻すのだけれど、家の持ち主である既婚男性に恋をしてしまう。そして迷う彼女はタヒチで自分を見つめ直すのです。あぁ吉本ばななっぽい(二回目)。

 

私は、こういうピュアで不器用な人にはイライラするし、どちらかといえばずる賢く野心家で平然と浮気をする男性の妻の方に親しみを覚えてしまう。この小説ではピュアな主人公と男性とは対極な「悪」とされているけど、そんなに憎めない。

 

最後まで主人公も相手の男性も好きになれなかったけど、タヒチの描か方がとても丁寧できれいだった。空気感とか、行ったことのない私でも「さぞ美しい場所なんだろうな。。」と思いを馳せてしまう。そしてまた、表紙もさることながら挿絵もとても美しかった。

その自然の美しさに触発されたのかしら、意地悪な私も最後は二人の恋を応援したいような気持ちで本を閉じた。これぞばななマジックなのでしょうか。

んーやはり食わず嫌い、直してみるか。

 

 

 

失わせるものの大きさにおののく

こちらを読みました。

 

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「嫁の遺言」加藤元

 

7つのストーリーからなる短編集。

とても読みやすくあっという間に読んでしまった。

その中から、心に残ったもの、2つ。

 

一つは「いちばんめ」

同級生の結婚式で初恋の彼に再開する、というよくある場面。初めての恋でお互いつまらない意地をはってうまく付き合えず、お互い大好きだったのに別れてしまった。

今だからやっと勘違いや思い込みだったと気づくのだけど。

恋もキスもなにもかもが初めての人。だからこその大恋愛、もう2番目からはやってこない思い。1番目の人。

青春だなーと、誰にもある1番目。たまにそんなことを思い返すのも、大人の醍醐味かもしれない。

しみじみ思い出してしまった。遠くまで来たもんだと。

 

 

心に残ったストーリー、二つめは「窓の中の日曜日」

母親の1度の過ちが原因で離婚、娘の親権は父親に渡り、離れて暮らす母娘。

娘との週に1度のデートを楽しみに暮らす母。

何よりもその時間を楽しみにしていたけれど、娘の父親(前夫)から再婚したことを告げられ、もう二度と会わないでくれと言われてしまう。

母はそこで、娘が新しい母になじめず、父に内緒で実母に会いに来ていたことを知る。どんな思いで娘が自分に会いに来ていたのかを。

 

この話は、胸が痛かった。

私は正直、不倫に賛成も反対もしていないんです。状況ってもんがあるし、一概に何も言えない。そこから始まる人生もあるだろうし。

私自身は、夫へも今の生活にも1ミリの不満もなく、そもそも出会いもなく、不倫する理由もきっかけも何もないので、穏やかに生活を続けているわけです。

だからと言って、NO!不倫!と思っているわけではなく、人がしてても、ふーーーん、くらいしか思ってなかった。むしろ、まーしたくもなるよね、わかるわかる、くらい思ってた。

でも、この話を読んで、自分は絶対したくない、と思った。

 

そもそも、なんで子供を夫に渡さなきゃならんのか。

産んで育てたのは女。体ボロボロにして血分けて髪振り乱して育てるのは女。

この夫は全く育児に協力せず平気で遊び、なのにただ1度の嫁の浮気が許せず、それまでかわいがりもしていなかった娘をとりあげ、たった2年で再婚し、本当の母には会わせないという。。。オーノー。

それまでの、産んで育てた365日✖️年齢分、毎日毎日来る日も来る日も子供と一緒に過ごした日々を、たった一晩のうっかりミスで、全部もってかれてしまうなんて。

やるせなさすぎる。

たった一晩たりともミスを許されない職業、お母さん、なんですね。

こんなしょうもない父親でも親権を取れるんだもの、うちのいい夫・いい父親なんて間違いなく親権あっさりもってく。私が一晩ミスしたら、あっさり2人もってかれる。

絶対にミスしないように、心に誓いました。

 

そして、何より頭をがつんとやられたのは、娘が失った家族の形。

浮気して子供とられた母親のつらさにフォーカスしていたわけです。

でも、娘のつらさ。

実の父親と母親と暮らす、本来当たり前の家族の形を、娘はなくしてしまった。何も非のない娘が、当たり前に求める形は、もう手に入らない。

親がうまくいってない家庭は多い。離婚した、再婚した、実の親の顔を知らない、そんな環境で育つことは今では珍しいことじゃないし、だからって不幸だとか、そこから先の人生に暗い影を落とすとか、そんなことない。そこから学ぶことの大きさと強さを、私自身が知ってる。

ただ、子供が辛い思いをするのは事実だ。

その原因が、母親のうっかり一晩の過ちだなんて、つらすぎる。

そんな傷を負う原因を自分が作るなんて、私は絶対嫌だ。

どんだけ可愛がってると思ってるんだ、毎朝毎昼毎晩、子供のことが大好きだ。その2人を、自分が傷つけるなんて、絶対嫌だ。

離婚して親権を失って、子供と暮らせなくなる悲しさよりも、子供に背負わせる傷の大きさ。

自分が失うものの大きさより、自分が背負わせてしまうものの大きさに、おののく。

うっかりミス、気をつけよう。絶対しない。やっぱりNO!不倫!に寝返る。

 

朱夏、後半戦。

一気に読み干しました。

 

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「風待ちのひと」伊吹有喜

 

心の風邪」をひいた都会のエリート銀行員・晢司は、亡くなった母の住んでいた小さな海辺の町を訪れる。そこで知り合った女性・喜美子に母の家と遺品の整理の手伝いを頼むことになる。明るく素直な喜美子だが、彼女も息子と夫を亡くし心に傷を負っていた。スマートで知的だが家庭と仕事に疲れ果てた晢司と、希望も自信も失ったまま田舎で懸命に生きる喜美子。正反対だけれど傷ついた二人は、一夏をすごすうちに、友情が芽生え、愛情が生まれる。お互いの存在と、美しい町と町の暖かい人々のおかげで、二人は止まっていた人生をゆっくりと動かし始める。

 

 

この本は大人のファンタジーだなと思った。

まず海辺の町の景色が美しい。

そして晢司の母と晢司が愛したクラシック音楽が、喜美子と喜美子の亡くなった息子を繋いで、とても美しく物語のキーになっている。

晢司と喜美子も、人生に疲れながらも、お互いに惹かれ合う様子はなんだか子供のように純粋で素直に描かれてる。

景色・音楽・子供のような二人。流れる空気が穏やかで美しい。

喜美子に出会ってどんどん心身の健康を取り戻して、本来の知的でスマートな姿に戻っていく晢司。割烹着を着てあけすけな図々しいおばちゃんそのものだったのが、晢司に出会い、控えめな優しさや美しく着物を着こなす女性らしさを取り戻した喜美子。

二人の変化がもうファンタジーですよ。

けれど、町の人たちの地に足のついた生き方や温かさ、現実的な都会の女・哲司の妻の登場がピリッと場をしめていて、リアリテイがあってとっても良かった。

 

それにしても、息子がいる私としては、喜美子の息子への思いが痛くて痛くて。

耐えられないだろう。想像するだけで吐きそう。そこはもう考えるのをやめました。

 

晢司と喜美子は共に39歳。

私は36歳。自分と3つしか違わない女性の話とは思えないのだけど、やはり苦労が老けさせたのか。

文中に出てきた「人間には4つの季節がある。

十代が青春。20代・30代は朱夏。40代・50代が白秋。それから先は玄冬。」

私自身も朱夏真っ只中、そろそろ白秋にさしかかるわけです。

子育てに追われていているうちに年を重ねてしまったけど、そうか、もうそんな年代なんですね。若いままで止まってちゃいかん。立派に体は老けていっています。

 

39歳の恋。

家庭がうまくいかない男と、家族を失った女の39歳の恋。

魂レベルの出会いってあるんでしょうね。

 

いい本だったな、読んで良かった。

もう「呼ばれる人」側にいる

こちらを読みました。

 

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「泣きながら、呼んだ人」加藤元

 

4つの短編からなるこの小説は、各物語ごとに登場する4人の女性の「泣きながら呼んだ人」、つまり「母」からの自立がテーマになっている。

ざっくり言ってしまうと、「3兄弟の中で自分にだけ厳しくする母」「子離れできない母」「規律正しく威圧的な母」「子供より恋人を選んだ母」と、大人になってもその母親への複雑な思いから抜け出せない娘という4組の家庭の話。

子供の頃から思春期に抱いたわだかまりを、大人になり受け入れたり対峙しながら自分の人生を歩んでいく。

娘側の状況や心理はすごく複雑であったり、苦しいものを感じるんだけども、書かれている家庭はどこにでもある普通の家庭。娘側からの視点だと、うわーこんな母親イヤだわ、と思うのだけれど、母親側から見れば、まぁ結構な頻度でこういうお母さんいるよね、という母ばかり。

 

いま、私自身が30代半ばで2人の子供がいる。

母は健在だけれども、父が他界したばかりで、母も心細いのだろう、年老いてきているのが目に見えてわかる。

かく言う私もそれなりに母親との確執はあったし(この小説に出てくる親子と同じように、当然母親は気づいてもいないだろうが)、とんでもない母親だと思っていた時期もあった。けれど、自分が大人になって知ったことは、私の母もそこらじゅうにいるお母さんと同じ、普通のお母さんだったということ。私が娘時代に抱えていた問題は、そこらじゅうの娘が抱えていた問題だったということ。

そして、自分が母になって知ったこと。

子供が母を「泣きながら呼ぶ」のだということ。

毎日何回「ママーーー!!!!!」と呼ぶのだろう。泣きながら、笑いながら、叫びながら、喜びながら、怒りながら。ほとんどの感情を真っ先にぶつけてくる対象が、母親だっていうこと。

私の人生でこれほどまでに私を呼んでくれる人は今までいなかったし、これからもきっと現れない。

いま2歳と5歳。

2人の子供が私を必要とする場面は年々減っていくだろう。

けれど、自我が芽生えるとともに私への要求は年々エスカレートしていくのだろう。

母自身の個性など必要ない、母とはこうあるべきで、こうあってくれないのなら酷い母親。そんな無謀な要求が当然子供の権利とされる。でも、それが成長期の子供の甘えなんだろうな。それに応えることができるだろうか。できるのなら、できる限り応えたい。

 

きっとみんな精一杯子育てしてる。でもどっかでずれて、そのずれは母親が思うより子供にとって大きくて、わだかまりに発展してしこりになって残る。

どんな風に子育てしていけば、いいのだろう。

わがままで自分勝手で都合のいい人間でしかない、対大人としてもまっとうではない私が、対子供相手に一点のくもりも残さないノーミスの子育てなんて、、、できるわけないだろうが!

無理。でも大切にしたい。

ただ愛すればいいというわけでもない子育て。


本文中に出てきた母親の「小さな私の可愛い女の子はもういない」という言葉が残りました。

小さい私の女の子も、あと数年でいなくなる。一人の少女になり、一人の女性になる。

難しいですね。お母さんって大変。大変です。