もう「呼ばれる人」側にいる

こちらを読みました。

 

f:id:callal:20160614095927j:image

「泣きながら、呼んだ人」加藤元

 

4つの短編からなるこの小説は、各物語ごとに登場する4人の女性の「泣きながら呼んだ人」、つまり「母」からの自立がテーマになっている。

ざっくり言ってしまうと、「3兄弟の中で自分にだけ厳しくする母」「子離れできない母」「規律正しく威圧的な母」「子供より恋人を選んだ母」と、大人になってもその母親への複雑な思いから抜け出せない娘という4組の家庭の話。

子供の頃から思春期に抱いたわだかまりを、大人になり受け入れたり対峙しながら自分の人生を歩んでいく。

娘側の状況や心理はすごく複雑であったり、苦しいものを感じるんだけども、書かれている家庭はどこにでもある普通の家庭。娘側からの視点だと、うわーこんな母親イヤだわ、と思うのだけれど、母親側から見れば、まぁ結構な頻度でこういうお母さんいるよね、という母ばかり。

 

いま、私自身が30代半ばで2人の子供がいる。

母は健在だけれども、父が他界したばかりで、母も心細いのだろう、年老いてきているのが目に見えてわかる。

かく言う私もそれなりに母親との確執はあったし(この小説に出てくる親子と同じように、当然母親は気づいてもいないだろうが)、とんでもない母親だと思っていた時期もあった。けれど、自分が大人になって知ったことは、私の母もそこらじゅうにいるお母さんと同じ、普通のお母さんだったということ。私が娘時代に抱えていた問題は、そこらじゅうの娘が抱えていた問題だったということ。

そして、自分が母になって知ったこと。

子供が母を「泣きながら呼ぶ」のだということ。

毎日何回「ママーーー!!!!!」と呼ぶのだろう。泣きながら、笑いながら、叫びながら、喜びながら、怒りながら。ほとんどの感情を真っ先にぶつけてくる対象が、母親だっていうこと。

私の人生でこれほどまでに私を呼んでくれる人は今までいなかったし、これからもきっと現れない。

いま2歳と5歳。

2人の子供が私を必要とする場面は年々減っていくだろう。

けれど、自我が芽生えるとともに私への要求は年々エスカレートしていくのだろう。

母自身の個性など必要ない、母とはこうあるべきで、こうあってくれないのなら酷い母親。そんな無謀な要求が当然子供の権利とされる。でも、それが成長期の子供の甘えなんだろうな。それに応えることができるだろうか。できるのなら、できる限り応えたい。

 

きっとみんな精一杯子育てしてる。でもどっかでずれて、そのずれは母親が思うより子供にとって大きくて、わだかまりに発展してしこりになって残る。

どんな風に子育てしていけば、いいのだろう。

わがままで自分勝手で都合のいい人間でしかない、対大人としてもまっとうではない私が、対子供相手に一点のくもりも残さないノーミスの子育てなんて、、、できるわけないだろうが!

無理。でも大切にしたい。

ただ愛すればいいというわけでもない子育て。


本文中に出てきた母親の「小さな私の可愛い女の子はもういない」という言葉が残りました。

小さい私の女の子も、あと数年でいなくなる。一人の少女になり、一人の女性になる。

難しいですね。お母さんって大変。大変です。